雪解けの信州の景色が好きなのだけど、ここ数年は夏と秋にしか行けなかった。
毎年「今年こそは」という思いで天気を確認してはいるのだけどね。
今は代掻きの季節。
ネット眺めていたら、大糸線のキレイな写真が色々あったんだよ。
色々眺めているうちに、すっかり鉄道好きの気持ちが湧き上がってしまった。
地元を走る東海道線には殆ど興味がないのだけど、信州を走る鉄道には特別な思いがある。
いつもとは違う目的を持って足を向けるのもいいかもしれないと思い、深夜の中央道を走ったわけ。
運が良ければ、水を張った田に写る山なんかも撮れるかもと思いつつ・・・。
現地での移動には自転車を使った。
どうせ行くなら身軽に移動して色々撮ってみたいが、車は駐車場所に困るし遠回りも必要。
かといって歩きでは時間かかって仕方がない。
これこそ自転車の出番でしょう。
カメラが重いけど、撮影ついでにこの景色で自転車にも乗れるなら言うことはない。
やってきたのは211系。
もともと東京圏を走っていた電車が転籍したものだとか。
オレが中学生の時にデビューしているから、国鉄時代の電車だね。
信州転籍にあたって、雪を掻き分けるスノープロウが追加されている。
パンタグラフも昔の菱形ではなく、くの字型の1本足に交換。
長野色と呼ばれる帯色は、信州の山々を模したそうだけども、さもありなん。
鹿島槍ヶ岳、五竜岳がまさにそういう色を見せている。
ここは安曇沓掛駅と信濃常盤駅の間。
昔から有名な大糸線の撮影地だそうで、ネットでは昔の写真から今の写真までたくさん出てくる。
鉄道写真なんか撮ったことないから、まずは定番の場所に行ってみようと思ったんだよね。
爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳(八方尾根)。
奥に見えるのは白馬三山(白馬槍ヶ岳、杓子岳、白馬岳)。
もうね、言うことありませんw
大糸線をゴトゴト走る普通電車、E127系の2両編成。
輪行で松本から大町まで乗ったことがあるけど、窓が大きいんだよね。
全国何処でも同じ電車が走っていた国鉄時代を思えば、JRは気が利いた電車を走らせてくれますね。
この写真には、オレが好きなものが全部写っている。
自転車、北アルプス、鉄道、ギター(の工場)。
このフジゲンさん、世界に誇れる日本のギターメーカーの一つですよ。
確か自動車のウッドパネルなんかも手掛けていたと思うけど。
青木湖に移動する。
湖畔の道は国道から外れているので、非常に静か。
そこにこの日本離れした景色ですからね。
ここでこれだけ見えていれば、白馬はオールクリアで眺められるハズ。
大糸線は、首都圏の電車みたいにひっきりなしに走っているわけじゃない。
時刻表と睨めっこして行動しなきゃ写真は撮れない。
そこが一番大変でした。
パニアバッグ付けて青木湖畔を走る学生さん。
ファインダー覗きながら表情が見えたのですが、ひたすら笑顔でした。
この光景の中で自転車走らせるだけで嬉しいというその気持ち、よ~くわかります。
立派な自転車、立派なバッグには少しジェラシーw
佐野坂を下りて白馬村へ進入、スノーハープ付近の光景。
昨年の長野県神城断層地震の震源地域なので気になっていましたが、通行には何の問題もありませんでした。
道路の補修跡や復旧中のような場所も散見されますが、主な道路沿いは以前と変わらない感じです。
普通に行くことできますよ。
で、白馬大橋。
ここでは何度も撮ってるけど、残雪の季節は本当に久しぶり。
今年は雪解けが早いようで、五竜岳の武田菱の雪形はすでに消えていた。
白馬岳の代掻き馬も少し融雪モードかな?
白馬岳。
この地域を代表する有名な山だけども、意外にも名前が付いたのは明治に入ってからと聞いたことがある。
雪深く晴天率の低い地域だから、昔はのんびり山を眺める余裕なんかなかったのかもしれないね。
このフェラーリのマーク的な雪形が有名な代掻き馬。
これが見えると麓では代掻きが始まる。
岩岳入口の交差点を東に向かい、線路を渡る。
実はこっち側に来たのは今回が初めて。
白馬駅の次の駅、信濃森上駅(しなのもりうえ駅)。
左後に聳えるのは五竜岳、その手前は八方尾根。
この日は五竜岳が神々しく見えていましたよ。
信濃森上駅を横目に小谷側に数百メートル行ったここ、大糸線の超有名な撮影地だそうです。
残雪の季節で天気が良く、しかも連休。
そりゃあカメラの砲列になるよね(^^;
この田に水が張られた写真を見てここに来ようと思ったんだよね。
水に映る残雪の山々と大糸線を期待したんだけど、残念ながらまだ水は張られていなかった。
まあこれは仕方がない。
この地域の田の畦道は石垣になっている。
ウチの方では土のままが普通なんであまり見かけないけれど、積雪量が関係するのだろうか?
江戸時代初期の城郭に多い野面積みというのに似てる気がする。
この土砂崩れの跡は昨年の地震のものだろうか?
オイラがこの地に初めて踏み入れたのは、7.11水害の直後。
岩岳のゴンドラに乗って、そこら中にこんな場所が見えたことを思い出す。
ゴンドラ下にある岩岳のゲレンデ自体も凄かったからね。
海育ちのオレにとっては、土砂崩れというものは言葉しか知らないようなものだった。
大雨で警戒されるような崖はあるけれども、規模が違いすぎる。
その規模が違い過ぎる土地の土砂崩れを初めて見たのが、MTBに乗り始めて1年くらいの頃。
持てる高低差そのものが魅力となる「山」というものへの意識は、その時にほとんど決まっちゃった気がする。
それくらい、あの時の白馬界隈の傷跡は凄かったし怖かった。
今でも、白馬の峻険な山々はこの地の地質的特徴から形成されたものでもあることを思わずにいられない。
それが白馬の風景を唯一無二のものにしているのもまた事実なんだけれど。
この撮影地付近は、昔からある宿場町のような雰囲気が印象的。
庚申塔もあるし、立派な火の見櫓もある。
昔はこの道がメインストリートだったんじゃないだろうか?
で、帰宅してから調べてみた。
国土地理院の「国土変遷アーカイブ」という、地味に大好きなWEBサイトであります(^^)
このサイトは日本全国の航空写真が見られるのだけど、終戦直後から現在までの写真を見比べることができる優れモノ。
つまり、自分が生まれる前の地元の状況とか、実家が建つ前の土地の様子が見られちゃったりする。
下の写真は、現在の信濃森上駅周辺。
松川を渡った国道は右にカーブしつつ岩岳の下を通り、小谷村に向かっていく。
丸で囲んだ部分で撮ったのが上の写真だよ。
そしてこれが1948年(昭和23年)の信濃森上駅周辺の状況。
大糸線は何も変わっていないけど、松川から先の国道がない。
道路は松川を渡った直後に右折し、踏切を渡って先の集落に入っていくのがわかる。
現在の国道周辺は、原型になったであろう小道が伸びているだけ。
この国道は大型トラックが爆走するので、道を迂回させて正解だったのかもね。
Photo:国土地理院 国土変遷アーカイブ(白馬岳)を抜粋・加工
白馬と言えば欧米風リゾートの印象が強いし、そこに憧れたんだけどもね。
何度も行っているうちに、こんな純和風な山里の風景も白馬らしさだなあと思うようになった。
この辺は非常に興味深いので、もう少し調べてみたい所。
そうこうしているうちに、特急あずさがやってきたよ。
カメラ構える皆さんの狙いは、11時35分頃に通過するこの電車が全て。
ちょうど電車が通過する時に雲が出ちゃったので、背景は巨大な八方尾根で埋めてみた。
東京を出た電車がこんな異世界に繋がってること。
それ自体が鉄道の妙味というか、魅力というか。
そんな気がしませんかね?
信濃森上の踏切より。
水平線しか知らないオレに山岳というものを間近で見せてくれた路線。
それがオレにとっての大糸線。
MTBの聖地みたいな存在だった岩岳に行くために乗った列車であって、MTBとしてはこれ以上を望めないほどの世界に連れて行ってくれた存在。
初めて白馬に来た時に乗った夜行の急行アルプスは、こんな電車だったよ。
このカボチャ色の電車はもう走っていないし、急行アルプス自体もなくなった。
同じ時間帯を走る「ムーンライト信州」という臨時列車が連休時期に設定されるのみ。
長野新幹線の開通前後で、人の動きは大きく変わったんだよね。
Photo:Wikipedia
この派手な特急にも何度か乗っているけどね。
八王子駅で初めて見た時にはオモチャっぽいと思ったけど、この模様は五竜岳の武田菱を模したものだとか。
傍から見ると、この派手さが雄大過ぎる景色の良いアクセントなのだと理解できる。
近い将来、伊豆の踊り子号になるという噂があるので、平塚でも見かけるのかも。
ただまあ、武田菱は消されちゃいそうだねえ・・・。
この季節に白馬の代掻きを見たのも初めて。
そこを通り抜ける新宿行きの特急あずさ。
やっぱり鉄道写真には鉄道写真のやり方があるようで、なかなかうまく撮れない一日でした(^^;
もともと目立つ五竜岳だけども、この日は一番印象的だったね。
木崎湖に戻ると、ハイブリッドトレインが通過。
木崎湖、中綱湖、青木湖を合わせて仁科三湖と呼ぶ。
初めて見たのは夜行列車で通過した明け方で、湖面上にだけ綿みたいな霧がポッカリ浮かんでいたんだよ。
この地では当たり前の光景なのだろうけど、そんなの見たことなかったからね。
「特別な場所に来たんだ感」はハンパなかったよね。
しかしレースする自転車ばかり撮っていたし、それもうまく撮れないのに電車は無謀でしたよ。
こちらも近道はないのだろうから、近所の東海道線で練習するしかなさそうであります。
白馬に行くには結構勇気がいるので、白馬界隈を走る電車を買ってみた。
この世界は子供時分から好きなので、ズブズブ嵌りそうで怖いのだけどね・・・。
43才のオッサンですが、子供時分は普通に電車が好きでしたよ。
今でも人並みには好きだとは思うけど、特別に鉄道ファンというわけではない。
だから3/14に開通したばかりの北陸新幹線に、こんなに早く乗ることになるとは思ってなかったわけです。
出張万歳w
長野新幹線が延伸された姿が北陸新幹線なので、長野までなら開通以来何度も乗っている。
それこそ東海道新幹線よりたくさん乗っているから、トンネル抜けると浅間山がドーンと見えることも知っている。
だから、乗り出す前はピカピカの新車であることの方が嬉しかったかも(^^)
木曜日の始発の「かがやき」に乗ったので、車内はガラガラ。
自由席でも良かったのだけども、時間的に速達列車であるかがやきを選択。
すぐ後に「はくたか」もあるのだけど、到着時間が1時間くらい違うんだよね。
かがやきは全席指定席になるから、西側の景色を見ることになる2人席の窓側を取りましたよ。
長野新幹線の区間、3人席側に座ると浅間山ドーン!という光景が見られる。
それは以前にも見ているし、長野以北は山々を左手に見ることになるので2人席を取った。
この日は天気がよくて、佐久平あたりで八ヶ岳も見えた(^^)
そして、長野駅に着く。
ここから先は北陸新幹線として延伸された区間になるので、初体験。
駅名板には飯山という行き先が示されて、もはやここが終点ではないことを物語る。
高崎~長野間もトンネルだらけだけど、長野以北はそれ以上にトンネルだらけ。
あまり景色は見えないのだけど、一昨年に訪れた飯山市街は少し見えた。
山々の雪解けが進んでいるように見えたね。
そして長い長いトンネル地帯を抜けると、フっとトンネル音が消えてこの光景が。
山に詳しくないけど、左奥にある特徴的な山が妙高山であることはオレにもわかった。
いや~、これは感激しちゃったね。
頚城山塊っていうのかな?
上越あたりには何度か行っているけど、妙高山をはじめとする信州・新潟国境の山々をこんなにスッキリ見たのは初めてでした。
そして見えたのは黒姫山。
名のある山を見てウキウキしている自分を抑え切れないのだけど、これは出張ですからねw
新幹線はこの先、富山平野に向けて突っ走る。
今回、何が楽しみだったかと言えば立山連峰。
今まで見たことがないのだけども、果たして・・・?
新幹線はぶっ飛ばしているので、地図を見ていても刻々と景色が変わってしまう。
このへんは白馬岳が顔を出しているらしい。
白馬ないし松本側からの姿であれば見分けることはできると思うけど、反対側からは見たことがない。
稜線の左右で極端に形が違うことでも知られる山なので、果たして分かるだろうか?
うーむ、よくわからんw
家に帰ってカシミールで当たってみるとこんな感じ。
少しだけ見えていたようですね。
白馬岳に連なる山々は、後立山連峰とも言われる。
立山連峰の後に聳えるからなんだろうけど、そうなるとやはり立山連峰が見たいわけですよ。
北陸道を通ったことはあるけど、深夜だったから見たことがないんだよね。
んー、よくわかんないね(^^;
白馬なんかは午前中が順光だけど、立山は日本海に面しているから朝のうちは逆光になるんだね。
このへんに来ると、日本海も見えています。
久しぶりに見たなあ・・・。
深夜に通過したことはあるけど、金沢に来るのはこれが初めて。
加賀前田100万石の城下町、でありますね。
この先、新幹線の基地があるらしい。
そして路線はまだ延びる予定だとか。
これまで興味の中心は信州にあったけれども、富山平野の光景はかなり好みなので、自転車担いで巡ってみたいもんです。
しかし新幹線は恐ろしい。
4:50の平塚始発に乗って、8:30過ぎには金沢ですよ。
関東から行きにくいエリアだった北陸がこんなに近くなるとはね・・・。
金沢では金沢城と兼六園を散歩。
それはまた後日・・・(^^)
この年末年始、幾人かの方々と自転車乗る機会があったのだけどね。
色々な人から「キタネエ」とお褒めいただいたオイラのロードw
カズ選手にも呆れられ、まるで汚物に触れるかのように跨っております(笑
湘南名物の砂はジャリジャリ、金属研磨の研ぎ汁はテンコ盛り、粘土みたいな油の塊もあちこちに。
忙しかったとはいえ、さすがにほったらかし過ぎた。
なので、ちまちまと掃除を始めた。
今でこそ、ホコリ被ってなきゃいいや、油っ気があればいいや、という手抜き洗車しかしないけれども、若い頃は一台のMTBを舐められるほどキレイにしていたのですよ。
レースやイベントに出たら、駆動系はもちろんヘッドやハブも何から何まで全部バラバラにする。
ギア歯のアール内にこびりついた汚れも、一つ一つ完全に取り去る。
洗車というよりは磨き込みという感じ。
時間もかかるし手も痛くなるのだけども、その甲斐あって6年乗っても全く故障知らずでした。
自転車趣味を始めた当時のオレにとっては、洗車という行為はキレイにして機械としての調子を保つ以上の意味があったね。
自転車のメカニズムを嫌でもカラダに染み込ませるものでありました。
パーツをバラして磨くと、磨耗痕が現れる。
それを眺めていると、走っている時にそこがどうなっているのか想像できるようになってくる。
ベアリングのボールがどう当たっているのか、チェーンがギアにどう引っかかっているのか、とかね。
そうなると、走る状況によってどう事前処置すべきか、どうすれば自転車を壊すのか、あるいは長持ちさせられるのかも見えてきたりする。
頻繁にバラしていると、少しづつ磨耗が進行していくこともこの目で見ることになる。
そうなると、自転車の状態からどの部分がヘタったのかも自然と判るようになる。
XTRとかXTとかLXとか、パーツのグレード差がどうやって生み出されているのかも見えてくる。
新しい製品が出てきても、それを自分なりにジャッジできるようにもなってくる。
そんな感じで、色々なことを洗車から学んだ気がします。
だったらもう少しマメに洗えよ、といつも言われるのですが、そこはホレ、大人になると色々と面倒くさいからね・・・(^^;
これは洗浄したKMCのDLCコーティングチェーン。
もともと黒っぽい色なのだけど、プレートのX字モールドはコーティングが剥げていた。
しかも、X字の片側のみが進行しておりますね。
でも、逆側はほとんど剥がれていないのです。
さてさて。
チェーンだけでなく、スプロケットやチェーンリングにも走り方や自転車の調子のクセの痕跡は残る。
不特定多数の持ち主の自転車を大量に眺めてきたプロのメカニックが見ると、どういう乗り方をしているのかがすぐわかるそうな。
最近は設計が高度化して専用化が進んでいるので、チェーンの向きを指定されたりするものもある。
このチェーンはそういう指定はないけれど、拘る人は向きも元に戻せるように注意を払ったりする。
チェーンのローラーとギア板の摺り合わせが終わり、ちょうど良く一致した状態を維持するためだね。
そうしないと、高トルクで加速する時にチェーンが歯飛びしやすくなるのだとか。
オレはそこまでやりませんが、真剣にレースをやってる人や長く乗っている人には、その人なりのこだわりがある。
磨耗痕を通じてそんなのが垣間見えるのも、洗車という地味な作業の面白い所ではあります。
この先はどこまでやろうか?
せめてプーリーくらいはバラさないとな・・・
前回書いたのも白馬だったのに、また白馬ですよ。
今年はこれで白馬に行くのが3回目。
夏、初秋、紅葉と行ったので、次は厳冬期に行こうかと思っていたりする。
「はくばはくばとうるさい!」
と叱られるオレですが、実は真冬の白馬は知らないのです。
スキーのメッカではなく、MTBのメッカとして出会ったからね。
Flashに乗って3年くらい経つけれど、ようやく連れてくることができた。
やっぱりオレにとっては特別な場所なので、今まで乗ってきた自転車はほぼ全て白馬の松川河川敷で記念撮影している。
SuperSixはまだなので、いずれ持って来なければいけませんw
ちょうどこの季節、白馬では三段紅葉という光景が見られる。
山は冠雪、中腹は紅葉、麓は緑。
ゆえに三段ということになる。
今回、冠雪というには雪が少なかったけれども、白馬村が三段紅葉と広報してたから三段紅葉なんでしょう(笑
前日の天候が良かったし、翌日も続くと踏んで、深夜の中央道を走ったわけです。
ジャパンカップには目もくれず・・・
で、白馬村に着いたのはまだ夜中。
肉眼では山のカタチは見えてるのだけど、三脚を持ってないのでなかなか撮れず。
何とかカメラのシャッターを開けて撮れたのがこの写真。
真っ黒だけども、山はスッキリ見えそう。
相手が自然なので、スッキリ撮れるかどうかは時の運。
それでもオリオン座が星に埋もれる位の夜空と風のなさに、シンシンと冷える白馬でドキをムネムネさせていた。
試しにシャッターを数秒間あけてみたら、雲ひとつないスッキリ画像が。
はよ陽が上らんかと凍える指を暖めて、ひたすら橋の上で待ったわけです。
肉眼で山が普通に見え始めて数十分、山頂付近が赤く染まり始める。
山岳ならではの日の出の光景、モルゲンロートというやつですね。
写っている3つのピークが有名な白馬三山。
左から白馬鑓ヶ岳(はくばやりがたけ)、杓子岳(しゃくしだけ)、そして白馬岳(しろうまだけ)。
一つ一つを望遠すると、切り立った山容が目の前に迫る。
白馬鑓ヶ岳は、その名の通り尖った峰。
一番目立つ山でしょう。
杓子岳は丸っこい山。
代掻き馬の雪形で有名な白馬岳は、奥にあるので低く見えるけど、3つの峰で最も高い標高は2932m。
雪解け時期にお馬さんを作り出す岸壁も見えているのだけど、雪がないので見ないふりをするw
地元神奈川にも山はあるけど、白馬のように切り立った岸壁を見せることはないんだよね。
それでも真冬の丹沢山系が朝日に染まっていく姿を見ることはたまにあって、山岳特有の日の出の光景に大いなる憧れを抱いたわけですよ。
そんな中で白馬を初めて見た時、丹沢を見て思い描いた光景をブーストしたような荘厳さと迫力に、ただただ言葉を失ったんだ。
目の前を流れる松川は、白馬大雪渓の雪解け水。
初めて見た時はコーヒー牛乳色の濁流だったよ。
水害直後だったからね。
ほんの数キロ先で、姫川に合流して日本海へ向かう。
リバーランズスルーイットを地で行く光景は、当時も今も憧れの景色。
岩岳を背景にパチリ。
1995年の写真と比べてみる。
クロモリ製のフルサスはカーボンに変わり、向こう岸のキャンプ場は木が育って見えなくなってしまったね。
岩岳のゴンドラに乗る。
先月に来たときは止まっていたけれど、紅葉の時期になって再び運行開始。
今年は11月2日まで動くようですよ。
ゴンドラが急激に高度を上げると、いきなり目の前にこの光景が現れる。
このドラマチックさこそ懐かしき岩岳。
あの稜線、カンチブレーキのDHバイクでみんな疾走していましたね。
ゴンドラ駅は燃え上がる紅葉の中。
ゴンドラは往復で1800円するのだけど、背後の白馬の山々とのコントラストを見ると無理もないと思える。
岩岳山頂。
雲ひとつないウルトララッキーな日、夏に来た時より賑わっていましたよ。
岩岳は白馬の山の展望台でもある。
ビューポイントに向かう前からこの景色(^^)
冬はリフト降り場になる場所が展望台。
このへん、一人でニタニタしながら歩いておりました(笑
近づくにつれて周囲の木々も視界から消え、雄大な山々が眼前に広がり始める。
こんなにスッキリ見たのは何年ぶりだろう・・・?
紅葉の時期ではもちろん初めて。
白馬鑓ヶ岳。
白馬の山を普通に撮ると、どうしてもあの大きさを感じられない写真になっちゃう。
どうしたらあの高度感と質量感を写真に映し出せるか、なかなか難しいものですね。
白馬岳。
欲を言えば、もう少し雪があればと思ったよ。
でも、満たされないからまた足を向けたくもなるわけでね。
我ながら欲深いものだね。
ここまで眺めてくれた人は、これがMTBのお話だとはとても思えないだろうね(笑。
でも、海と畑しかない町に育ったオレにとっては、白馬=MTBなのです。
だからこの山の写真は全てMTBの写真。
自分でも何言ってるかよくわからない(笑
MTBに乗らなければ白馬を知ることもなかっただろうし、それが若い時期だったことも幸運だったと思うのですよ。
乗鞍とか、負けないくらい美しい景色でMTBに乗れる場所もあるけれど、大人になって見る景色は若い頃のそれとは何か違う。
親のスネかじってパラサイトしていた時期でしたが、おかげで白馬を見るたびに親を思い出し、感謝するようにもなった。
独立した大人になり切ってから白馬に出会っていたら、たぶん「キレイだねー」で終わっていたと思うんだよね。
このレストランで働いたひと夏は、サラリーマン的価値観では間違いなくムダですよ。
当時、父親にも怒られたし。
親父の心配も理解できるトシには達したけど、それでもムダとは思わない、思えないのも正直なところ。
結局、自転車は人生なんだと思うのです。
踏めば走るし、止まれば倒れる。
ちゃんと乗らなきゃ転んでケガもするわけでね。
白馬のお山を眺めてそんな青臭い思いが脳裏をよぎるということは、この山を眺めていた頃がそれだけ青臭かった何よりの証拠。
山は明らかに何も変わらないわけだから、変わって見えるなら要因は全て自分の中にある。
当時、岩岳でダウンヒルに燃えていた人たちも、この光景を見て何らかの思いが湧いてくる人は多いかもね。
色々あっても、変わらずここに聳えていてくれる山には感謝ですよ。
仕事をしていると自分を見失うことも多いけど、オレにはリセットできる場所がある。
それは幸せなことだと思いたい。
結局、この日は日の出から日没まで雲ひとつ湧かなかった。
霞がかかった夕方の白馬、朝とは違う色合いを見せてくれました。
いつまでこんな呑気な放蕩ができるかわからないけれど、また懲りずに行こうと思っています。
シマノ・バイカーズに友人達が集うというので、遊びに行ってきたのが先週末。
富士見パノラマでバイカーズ組の写真を撮ったりして一日を過ごし、夕方から一人で白馬に足を伸ばした。
仕事が忙しい上にプレッシャーもあり、何となく第2の故郷である白馬の山を眺めたくなったんだよね。
とはいうものの、諏訪湖畔のすわっこランドで風呂に入ったらやっぱり眠たくなり、梓川SAで爆睡。
日の出前に再び白馬に向かい、早朝6時半の白馬大橋で撮ったのがこの写真。
山ははっきり見えないけれど、山は人間の都合に合わせて姿を見せてくれたりはしない。
こういうのはもう慣れた。
カネと時間使って行く以上は絶対にスッキリ見たいという気持ちもよく判るけどね(^^;
大昔、岩岳で一夏バイトするために夜行の急行アルプスで白馬駅に降り立ったのが、やはり6時頃だったかな?
姫川大水害の直後だった頃で、まだ眠る駅前は霞がかかり、山なんか何も見えなかった。
しかし、日が昇るにつれてみるみるうちに霞が晴れ、白馬の山々がドドーンと姿を現した。
あの瞬間の感動は今でも忘れない。
白馬大橋から見る白馬三山は大好きな光景。
自転車を始めて1年ちょいの頃にそんな体験をしたものだから、オレの自転車趣味は白馬の山と密接に結び付いた。
あの夏の体験がなければ、今でも自転車に乗っていたかどうかわからない。
港町に生まれ、海と畑の中で育ったオレにとって、白馬はスキー列車の行き先くらいの認識しかなかったよ。
昔、国鉄とJRが運行していたスキー列車であるシュプール号に白馬行きがあったから知った、その程度の印象。
それが変わったのは、自転車(MTB)を始めた頃に岩岳がMTBのメッカとして本格始動しつつあったからだね。
岩岳の写真は、アメリカのマンモスマウンテンのような尾根筋を駆け下るイメージそのまんま。
真冬の海からチラリと見える遠き白峰に憧れを抱いていた小僧は、一気に心奪われたわけです。
白馬大橋のかかる川は、松川と言う。
白馬岳にある白馬大雪渓の清涼な雪解け水が里に流れてきた姿がこの川であり、数km先で姫川に合流して日本海に至る。
川といったら京急沿線のドブ川くらいしかイメージにないオレにとっては、この綺麗な水の流れ自体が夢のように思えたもんです。
白馬大橋の下の河川敷は整備され、芝が貼られている。
ここは白馬滞在中で一番好きだった場所。
山の方を見ていれば、それだけで幸せだったね。
オレが滞在していた頃はまだ芝が張られた直後で、モザイク状の隙間があったね。
写っている自転車は岩岳のレンタルバイク。
ヤマハブランドのフォークを持ったクロモリ製のフルサスバイク、丸石自転車のブラックイーグルであります。
ベンチの上の缶コーヒーはおそらくジョージアオリジナル。
糖尿を恐れる今のオレには、こんな甘ったるいものは飲めません(笑
あれから20年近く経つけれども、この風景は今でも全く変わらない。
「国敗れて山河在り」と言うけれども、山や川は何も変わらず当時のまま。
変わって見えるのなら、それはオレ自身の変化なのだと嫌でも思い知らされる。
そんな思いは、思い出が遠くなるほどに強くなる。
松川のたもとで、こんな標識を見つける。
白馬小径とある。
これは白馬村の各所にある標識で、岩岳がMTBだらけだった時代に設置されたのが始まりらしい。
自転車のレリーフは岩岳をMTBだらけにした仕掛け人であり、現在でも各所でJシリーズを開催している八代さんの手によるもの。
ダウンチューブにはSchwinn(シュウイン)とあるから、当時ハイエンドなMTBを扱ってマニアにも存在感を放っていたシュウインがスポンサーだったのかもね。
標識は現在でも色褪せたり朽ち果てることなく綺麗に維持されていて、白馬村もホームページで説明している。
オリエンテーリングのように白馬各所を辿ることができるようなので、いつか制覇してみたいもの。
少しだけ辿ってみたけど、やはり白馬だね。
夢に見たような理想的な雰囲気の道筋がそこにあった。
前振りが長くなったけど、岩岳です。
ゆりが咲くこの時期、ゴンドラは朝の7時半から動いている。
岩岳のゴンドラは、「ノア(Noah)」という名前がついている。
建屋も変わらないけれど、1階部分が改装されてキレイになっていた。
このゴンドラに乗るのは10数年ぶりのこと。
スタッフがやたら丁寧・親切なのが印象的。
あー、当時と変わらぬノア君の姿。
MTBを吊り下げていたフックはさすがにもう付いてないですね。
初めて乗った時は、このゲレンデに草は生えてなかったよ。
豪雨で全て流れてしまい、一面茶色の世界だった。
土砂災害の恐ろしさを生まれて初めて目にしたことも、白馬の記憶の一つ。
大文字焼きのように「岩岳」という文字が描かれていたサマーゲレンデは、完全になくなっていた。
現在の岩岳のグリーンシーズンは、ゆり一色といった感。
嫌でもスピードが出たスタート直後の尾根。
あれをカンチブレーキで下っていたとは、今では信じられないね。
山頂駅のこの光景、懐かし過ぎて泣けてくる。
往年のダウンヒルコースはゆり園となり、完全に消失。
山頂のゆりはまだ咲いていなかったけど、8月初旬頃に見ごろになるようです。
ゴンドラを下りて、みんな自転車押してここを歩いた。
岩岳山頂。
少々キレイになった気がするけど、建物とかは変わってない気がする。
山頂レストラン、スカイアーク。
初めて見た当時、「すかいらーく??」と思ったのは当然だよね(^^;
当時はまだピカピカだったけれども、看板の経年劣化に年月を感じるねえ・・・。
内部はビックリするくらい変わってない。
この写真だけ見ていると、時が止まっているような気がする。
「あまちゃん」に出てきたようなジオラマ。
当時はさすがにこれはなかったけど、わかりやすくていいね(^^)
細かい掲示物はもちろん当時と違うけれど、造作自体はほぼ何も変わらない。
それだけに尚更懐かしさがこみ上げる。
スカイアークの背後にはホテルが建っていたんだけれども、解体されていた。
行き先を失った連結通路の先端が悲しい。
数年前まではあったんだけど、結構痛んでいたから仕方がないかも。
北側を望む。
見えている町は栂池。
岩岳山頂で一番好きな場所に向かう。
白馬三山を真正面に望める場所なんだよね。
あいにくこの時に山頂は雲の中で、雪渓のお尻がチラリと見えていただけ。
当時は持っていなかった望遠レンズ付の一眼レフで撮ってみた。
遠目にはキレイ、近付いたら恐ろしい場所であることはうかがえますね。
巨大な白馬の山の前で静かに時が流れる岩岳の頂上。
その様子を見ていて、色々考えてしまったよ。
MTBだらけだった頃も、トレッキングに来る人たちは少なくなかったんだよね。
でも、見た目が仰々しいライダーやMTBの集団に圧倒されているような、そんな見方もできなくはなかった。
今の岩岳は、自分の足で歩く人しかいない。
うまく言えないけれど、それはそれでいい空気になっている気がしたのが正直な所。
オレみたいに、90年代の岩岳に憧憬を抱くMTB乗りは決して少なくはないと思うんだよね。
そして、白馬界隈が今でも風光明媚で魅力的なことにも変わりはない。
もちろん、こんな光景の中でMTB乗れたらという思いは今のオレにもまだ残っているんです。
でも、今の岩岳を歩く方々にとっては、たぶんMTBがワイワイやっていたら今の雰囲気は違うものになるはず。
MTBってのは本当に難しい立ち位置にいるんだなと、嫌でも考えてしまった。
当時、ダウンヒルのスタート地点から皆が眺めた光景。
八方尾根、白馬の街が眼下に広がる。
コースだった場所は、完全にゆり園になっている。
山を下りて、辺り一面に咲くゆりを見ると、どうしたって時が流れたことを改めて認識する。
寂しくもあるし、なるようになったのかもと思ったりもするし。
岩岳の湯は今でも健在のようだね。
今年の秋、岩岳でシングルスピードMTBのレースが開催される。
さすがに山頂エリアは使わないそうだけども、果たしてどういったレースになるのか、非常に興味がありますね。
ゆりが咲き終わった岩岳、スキーシーズンが始まる直前の岩岳。
とてもとても気になります(^^)
最近、富士山が綺麗ですねえ。
先週末は人力飛行機見物で富士宮周辺に行っていたけれども、荘厳極まる富士山の雄姿はただただ見事でありました。
今週末も天気が良くて、湘南界隈からも見えておりましたね。
稲村ヶ崎は人だらけ。
暑過ぎず寒くもないこの季節、やはり外に出たくなるのが人情かもしれない。
通勤以外では滅多に自転車に乗らなくなったオレですが、天気が勿体ないからね。
少しだけ走ったわけですよ。
湘南海岸を行ったり来たりしただけですが。
ここは鎌倉 由比ヶ浜の端っこにある公園沿いの道。
気に入っている場所なんだけども、ここで一体何枚の写真を撮ったことか。
20年前の松本行き野宿ツーリングの時、このあたりで明け方を迎え、写真を撮った。
このタイル張りの防波堤は当時と何も変わらない。
当時乗っていたのはニシキのアルミMTBで、当時流行したポリッシュカラーだった。
20年を経て、乗る自転車は多少高級になったかもしれない。
ただ、あの頃に乗っていた自転車ほどは大事にしていないね。
今乗っている自転車達も大事には違いないんだが、当時の自転車は最初の一台だったし、それしか持っていなかった。
ヒマさえあれば洗車して、バラバラにして、グリス詰めて組み立て直していた。
今は当時ほど時間がないのも理由だけど、それだけじゃない。
たぶん、自転車が近くにあるのが当たり前になり過ぎているんだと思うわけですよ。
自転車始めた頃のワクワクした感じは、やっぱり薄らいでいる。
サイクリストとして経験を重ねるほどに、まだ見ぬ世界というのも減っていくわけだし。
だから人には、「乗るのも弄るのもとっくに飽きてる」と言っている。
そりゃ飽きますよ(笑
とは言っても、自転車から離れてしまう自分も想像できないわけだ。
だからやっぱり自転車が好きなんだろうなと、改めて自覚するわけです。
このSuperSix、レーサーなのにレースに出たことがないという気の毒な一台(笑
早いもので、もう5年目を迎えております。
こいつで方々に出かけたし、あちこちガタも出て来ていますよ。
オレにしてはパーツ入れ替えが控えめな方で、コンポやサドルはそのまま残ってる。
この頃のSuperSixはとにかく乗り心地が良くて、後継のEVOほどスパルタンな性格ではない。
オレみたいな乗り方にも合っているんだよね。
購入当初に感じた、フレームのリズミカルな跳ね返りと進みの良さは鈍くなった。
正直な所、そろそろ乗り換えかもしれないなあと思うこともある。
でもねえ、好きで買った自転車をそんな簡単には手放せないものだったりする。
いざ手放そうと思うと、色々辛いもんね。
そんなモヤモヤした気分で乗った一日。
休んでいたら、上品な白髪の年配のご婦人に声を掛けられた。
「素敵な自転車ですね」
と仰る。
何を持ってそう言われたのかは知らない。
でも、この自転車への愛着がある身としては素直に嬉しく思ったよ。
まだしばらくは、この自転車に乗りたいと思った一日。
2日連続で自転車に乗るという奇跡の週末w
相模川沿いを厚木まで、河口から乗り出してみたよ。
今日はMTBではなく、シクロクロス車。
イタリアの有名な自転車レースに、フラットダートの道をロードレーサーで走るという「ストラーデ・ビアンケ(Strade Bianche)」というのがある。
ストラーデ ビアンケとは、イタリア語で「白い道」という意味らしい。
ここも白っぽいので、こんな感じなのかもと妄想。
相模川は県内最大の川でありながら、サイクリングロードと呼べる道はないんだよね。
河口付近には堤防の上にそれっぽい道があるけれども、すぐにダートになる。
しかし川はデカいので、道はひたすらペッタンコ。
平坦かつ未舗装路込みというルートなので、シクロクロスがちょうどいい、ということになる。
堤防がまだできていない場所はこんな状態。
MTBに乗る人にとってはちょっと嬉しいセクションかもしれないが、氾濫したらここからリークすることになる。
いずれなくなるでしょう。
フラットダートをロードレーサーで走る趣味を、最近はグラベルグラインダーとか言うそうな。
昔のツール・ド・フランスなんかはダートだらけだったようだし、ランドナーの世界はダートも普通。
新しくて古い嗜好と言えるかもしれない。
絵に描いたようなシングルトラックw
フラットダートって結構難しいんだよね。
パワー使うのはともかく、タイヤが滑るから曲がらないし止まらない。
MTBでも難しいから、前傾の強いロードレーサーやシクロクロスでは尚のこと。
自転車の挙動を体で知るにはいいかもしれないけれどね。
相模川沿いは圏央道の工事の真っ最中。
相模野の景観が荒川沿いみたいになっていくのは寂しいけれど、完成したらめちゃくちゃ便利になると期待するのも本音。
東名高速、中央道、関越道にラクラク乗れるからね。
そう思う時、人間の業の深さを思い知る。
ここは相模川で最もスリリングな場所かもしれない。
上を通る線路が低くて、乗ったまま通過できない。
頭上数cmの場所を通るのは、天下の東海道新幹線。
新横浜~小田原間はほぼ直線なので、かなりぶっ飛ばしている区間。
ここを通過中に新幹線が通ったことが何度かある。
音がしたな?と思うと、すぐに頭上をゴーっと通るんだよ。
新幹線の速さを実感できる。
厚木に出かける用事は済んだw
小田急。
相模原に住んでいる時は毎日お世話になったね。
厚木市内で、渋い自転車屋さんを発見。
店主にお許しいただき、写真撮らせてもらいましたよ。
山口自転車のベニーサイクルという看板は、いつからあるのだろうか?
ガラスケースには、古いパーツの新品が色々と置いてあった。
電飾ゴテゴテのスポーツ車が欲しかった子供の頃、こんな自転車屋さんで親にねだった記憶が蘇る。
開店して60年ほど経つそうです。
我々趣味人の工具とは次元の違う迫力を放つ作業場。
サンツアーの素晴らしいステッカー。
今ではサスペンションフォークのブランド名だけども、これは変速機を作っていた当時のものだろうね。
「こども110番の店」という表示、簡単には貼れないよね。
昔はリカちゃん自転車などの子供車が、店の前にズラリと並んでいたのかも。
これも懐かしいミヤタのMTB、いやATBであるリッジランナーのステッカー。
オレたちがMTBを始めた頃は、日本の自転車メーカーもMTBを色々と出していた。
日本製にはない革新性が眩しかったアメリカンブランドに強烈に憧れたのも事実なんだけどね。
オレも含めて、国産MTBから始めた人は多かったと思うんだけどね。
改めて店構えを撮ってみる。
街の自転車屋さんとして役目を果たしてきたことを匂わせる色々な表示。
数十年前から現在に至るまで店先を賑わすステッカーやポップの類。
歴史の長さを感じる見応えある店構え。
今どきのカーボンバイクとか、グラベルグラインダーだとか偉そうに語りがちなオレですけどね。
それもこれも、こういうお店で親に自転車買ってもらった所から始まっているんだなと。
ミニストップでXポテトかじりながらしみじみ再認識。
帰路は来た道を真っ直ぐに。
やっぱり新幹線怖いなあ・・・w
珍しく自転車乗ったよw
別にどこに行くわけでもなくモタモタ走り始めて、辿り着いたら鎌倉。
Nikon V1持っていたので、適当に撮ってみた。
普段はR134を走り抜けてしまうのだけど、MTBだったので極楽寺あたりに紛れ込んでみた。
写真に撮っていないけれど、雰囲気の良い店がポツポツとある。
古い民家を改装して住む人が増えているようで、そういった方々がお店を開いているようです。
若い人が築数十年の建物を改装して使うなんてのは欧米の話で、日本には縁がなさそうと思っていたけれども。
こういう動きは三崎にすらあるのだから、古都鎌倉だったら尚更だね。
次に散歩する時は、そういった建物の写真撮ってみようかと。
宿題ができる時は、良いサイクリングだった証。
坂が多くて狭い路地ばかりなので、26インチのMTBが実に都合が良かった。
26インチのMTBが絶滅するだのなんだの言われる昨今。
意外な所で26インチの需要を再認識、と言ったら大袈裟だろうか?
今週は春の嵐でしたねえ。
大雪2連発もまだ記憶に新しいのに、風の音は春っぽくヒューヒューと鳴り始めましたね。
で、春だからキャンディーズであります。
■春一番
*
彼女たちが「春一番」とか歌っていた頃のオレは、まだ幼稚園児だったんだよ。
「キャンディーズ」
というお姉さん歌手がいたのは認識していたけれども、ほとんど記憶にない。
当時のオレにとってお姉さんと言えば、ピンポンパンの「ゆきえお姉さん」だったくらいw
■あなたに夢中
*
どちらかと言えば、ピンクレディーの方が記憶に残っているんだよね。
ピンクレディーの方が派手で子供にも判りやすかったし、キャンディーズより後に解散したから記憶も濃いし。
■年下の男の子
*
キャンディーズに夢中になっていたのは、当時中学生くらいだった人たち。
このへん、若い人には全くピンと来ないだろうね。
オレ自身、石原裕次郎世代と加山雄三世代ってのがある、と言われてもピンと来ないしw
■暑中お見舞い申し上げます
*
では、なぜそんなオレが春になるとキャンディーズを思い出すのかと。
これは3年前の春にスーちゃんこと田中好子さんが亡くなった時から。
つい最近のことなのです。
女優田中好子が元キャンディーズと言われても、オレにはピンと来ない。
けれども女優さんとしてはテレビでお馴染みだったから、やっぱりショックだったよね。
テレビもネットもキャンディーズだらけになったから、すっかり耳に残ってしまった。
ちょうどその頃に実行したのが、しまなみ海道を自転車で走ること。
走っていてあまりに気分が良くて、思わず口ずさんだのが、キャンディーズの「微笑みがえし」。
もう1つはもちろん、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」でした(笑
■微笑がえし
「微笑みがえし」は、キャンディーズ最後のシングルだったそうな。
これまでに歌ってきた歌のタイトルや歌詞が、それとなく散りばめられてる。
明るい曲調だけど悲しい歌詞ってところが好きなんだけどね。
キャンディーズは和声が印象に残るんだよね。
ホンモノの歌の先生にしっかりと訓練された感じで、今のアイドルとは全く違う声。
安心して聞いていられる。
曲調も歌詞も良い意味で大衆的でわかりやすいから、一度聞いたらしっかり耳に残る。
大人がしみじみ聞いてもいい歌だね、と素直に思える。
当時夢中になった人たちの気持ちも、何となく理解できる気がします。
1972年に活動を始めたキャンディーズは、1978年4月に解散。
オレが生まれた年にデビューし、小学校の入学式を迎えた時に解散したわけだね。
団塊ジュニア世代にとっては、リアルなアイドル体験はやっぱり松田聖子あたりから。
色気づいてきた年頃になって流行ったのは、おニャン子クラブでありました。
このへんを懐かしがるのは、もう少し先かもしれないね。
この小さなブログも、今なお過酷な現場で戦っている方々がいるから成り立っている。
3年前の今日は、今の職場の下の階におりました。
その時、関東大震災が来たと思った。
震災以前と以後で、望む望まぬを問わず価値観はガラリと変わった気がします。
まだまだ厳しい現実と向き合っている方々は大勢いる。
現実は誰にでもあって、震災のことを考える時間すら与えてもらえないこともある。
そんな社会が時々恐ろしくなる。
それでも考えていかなければいけない。
本当に恐れなければいけないものは何か、本当に大切なものは何か。
そんな思いが黙祷中に頭を巡った3年目の3月11日。
改めて、犠牲となられた方々のご冥福をお祈り致します。